ポールがウチへやってきた!!

年末のジョー・ストラマー展で、大々的に展示販売されていた日本未発表THE CLASH写真群(ジョーの友人であるジュリアン・ユーダール氏撮影)ですが、まあなんだかんだと悩むフリをしつつ、やっぱり欲しかったわけです。ここで金を使わずにどこで使うんだ?え?何のために犬のように働いてんだ?え?岩盤*1におまえが投資しなくて誰が岩盤を支えるんだ?え?…と、100コくらい自分への言い訳を用意して、ギリギリまで答えを保留しながらも、結局そうするんだろうなあと自分が予想していたとおりに、受付最終日になってとうとう予約。あとでNちゃんに“買っちゃった”って言ったら“あなたはそうすると思ったよ”とあっさり言われましたが (^_^;
で、予約生産だったその写真が、とうとう本日届いたのです。わーいわーい。


少しクラッシュの思い出語りをすると、中・高時代、私はホントにクラッシュが大好きだった。その“音”はもちろんのこと、オトメ度120%な思春期ゆえ、あらゆる意味で萌えまくっていた。当時、シンコーからTHE JAMっていう洋楽アイドル雑誌みたいなのが出てて、そのグラビアをヨダレがでるほど眺めたり。『ロンドンコーリング』のジャケを眺めては、まだ見ぬライブを想像し、ひとりでコーフンしていたのだった(あのジャケはコーフンするよなぁ)。

london calling

london calling

当時はMTVもなかったし、音楽クリップを流すテレビ番組もほとんどなくて。そんだけ好きでも私はなんと動いてるクラッシュを見たことがなかった。またそのことに大きな疑問も抱いていなかったような気がする。多チャンネル時代の今じゃ信じられないでしょう。でも当時は、クラッシュごときのプロモはそうそう流れなかったんだよね。
動いている彼らを私が見たのはもっとずっとあと。さらに当時のライブ映像(プロモではなく)を見たのはクラッシュが解散してしまったずっとずっとあとになってのことで、そのあまりのかっちょよさにちびりそうになったんだった。(そういう意味じゃいちばん萌えてた時期に見なくてよかったのかも。見てたら悶死してたよ)


そんなわけで当時はね、ビジュアルと言えば、写真がすべてだったわけです。
クラッシュが来日したときナゼじぶんがライブに行かなかったのかは覚えてません。たぶんお金がないとか、試験とかつまんない理由だったハズ。これは一生の後悔と言っていいと思う(だからね、もしそんなような理由でライブに行こうか行くまいか悩んでる中高校生がいたら、とりあえず行っとけ!と言いたい。借金してでも行っとけー。へたすると一生後悔するぜ!)。で、くやしまぎれに私が何をしたかというと、姉が買ってきてたライブのパンフをていねいに全ページコピーとって(とーぜん白黒)スクラップブックに貼り、マイパンフを作成。さらにクローゼットの扉の内側にもコピーを貼りまくって、毎朝着替えるときに扉のジョーやポールにごあいさつできるようにしたのだった。ばーかばーか。
また、カメラ好きのクラスの男子が“接写レンズ”というものを買ったって噂を聞きつけて、彼にこっそり音楽雑誌の接写をお願いしたこともあった。今考えるとバカみたいなんだけど、グラビアを接写してプリントすると、ほら、なんか生写真テイストでしょ?(笑ーあ、これってバッタ屋の手法だよな)とにかくデジカメもスキャナーもカラーコピーもない時代はたいへんだったんだよ(^_^;


いやはや、昔はたいへんだった…ってそんな戦争を語る老人みたいなことが言いたかったわけじゃありませんよ。私にとって、この写真のオリジナルプリントを手に入れるってことが、どんだけコーフンすることなのか、をお伝えしたかったわけですよ(^_^;
そんなわけで、展覧会でものすごく惹かれた写真が何枚かあって、そのうちポールとジョーとミックを1枚ずつ買った。上のヤツはそのなかの一枚、楽屋でベースを抱える若き日のポール・シムノン。この写真には、永遠に戻ってこない何かが閉じこめられている。そしてその何かはたぶん、私がなくしてしまったものでもある…そんな気がするのです。
なーんて言いつつ、額装したら飾る場所はトイレだよ!

*1:今回この写真の委託販売をしていたCDショップ